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なごや耳鼻咽喉科院長のブログ
真夏の夜の夢.・2
今年の熱い夏の2つめの大事件は、参院選でした。
みんなの党から神奈川県選挙区で出馬した中西けんじさんは、僕の中学高校時代の一年先輩でした。彼は当時からかっこよくて誠実で優秀、今でいう「 いけてる」人で、みんなの信頼を集めていました。選挙の結果は、皆さんご承知の様に堂々の2位当選で、みんなの党の大躍進の一翼を担ったのです。
前回の横浜市長選の時からですが、今回の選挙でも僕はかなり彼に入れ込みました。
そして、ついに「選挙運動員」デビューとなったのです。
木曜と日曜に、いくつもの駅前で道行く人達に、中西さんと一緒に何時間も声をかけながらビラやアジェンダを渡しました。こんな客引きみたいなことは、高校の文化祭以来だなあ・・・なんて考えながら、街の声を興味深く聞きました。
この街の人達は日本の現状をとても心配している。僕が感じている以上に強く、切実に。
かさむ国家の借金、不安な老後、子供達に押し付けることになるだろう負担。
沖縄の人達には申し訳ないのですが、僕が神奈川の駅前の人込みで受け取ったのは、この街の人たちは日米安保や米軍基地よりも、経済や社会保障の問題で頭が一杯という印象でした。
逆の意味で、沖縄の問題には大きな闇があります。その闇とは、小さな島の人々にとっては、本土からの絶望的な無関心と無責任の結晶であり、都会の人々にとっては、疲れきった甘っちょろい善意のなれのはてなのです。
経済なくしては、政治もへったくれもない。
僕が肌で感じた人々の本心はそれでした。お金がなければ、青臭い理想は成り立たないのです。社会保障にも原資が必要です。バブルという甘い蜜の味を知ってしまったからなのか、現実的な神奈川の県民性なのか、今の日本の総意なのかは日にちが少なすぎてわかりませんが、人々の瞳の奥は冷酷です。
熱に浮かされた時間の中で感じたもの、それは変革期の躍動感ではありませんでした。その戸惑いを自分の日々の仕事にどうフィードバックするか、また宿題が一つ増えたわけです。
僕は政治的にはだらしないノンポリです。まあ、自民党に投票したことはありませんでしたから、革新的と言えない事もなくはないんでしょうが、社民党や共産党は興味がない。
なんとなく大きな世の中の変化を期待していたのでしょう。守るべき物もない、そして既得権者に対する嫌悪感を抱いていた名もなき一人の若者。民主党政権を誕生させた力の中には、そうしたわずかに何かを期待した、小さな一票の積み重ねがあったのです。
政治家の皆さんには、そうした小さな怒りや小さな希望が、世の中を変える大きな力になり得る事を忘れないで頂きたい。
僕は耳鼻科のクリニックを開業しています。世間的には医師であるとともに個人事業主でもあります。勤務医時代にはあまり考えなかった「税金」。良くも悪くも(僕にとっては)高い税金を、毎月毎月払い続けています。そうした立場で、怪しげな税金の使われ方は、本当に納得いきません。天下りのための様な特殊法人に流れ込む、巨万の血税。
どうして日本はこういう国になってしまったんでしょう。
無駄遣いが大好きな特殊法人へ流れ込む血税を、うまく交通整理する知恵はないのでしょうか。世の中の特殊法人全体に対する税金投入の総枠を決めて、国民にとって必要なものから配分する、原則はとても単純です。それを誰かがずる賢く変えていく。
やはり政治力という怪物が登場するんでしょうね。力任せに私達のお金をむしりとっていく怪物が。科学の基礎研究にお金がいかなくなって、日本の将来に発展がなくなるのは困ります。ライフラインである、インフラに必要なお金もあるでしょう。
私達の大事な血税を、将来のための生き金にするにはどうすればいいのでしょうか。
僕は、今回の選挙で応援活動をしながら、色々なアイディアを思いつきました。世の中にある特殊法人の「理事長」なる人達の、年俸を上限500万円、退職金を上限1000万円にする法律はというのはどうでしょう。
そんなことを考えながら、夏の参院選を楽しんでみました。
結果、応援していた中西候補は、無事に中西議員となりました。いろいろ考える時間や問題を与えてくれた中西さんに感謝です。
やっぱりハッピーエンドは素敵です。汗だくで突っ走った僕らを約束の場所に連れていってくれた中西さん、本当にありがとうございました。
そして、心からおめでとうございました。
みんなの党から神奈川県選挙区で出馬した中西けんじさんは、僕の中学高校時代の一年先輩でした。彼は当時からかっこよくて誠実で優秀、今でいう「 いけてる」人で、みんなの信頼を集めていました。選挙の結果は、皆さんご承知の様に堂々の2位当選で、みんなの党の大躍進の一翼を担ったのです。
前回の横浜市長選の時からですが、今回の選挙でも僕はかなり彼に入れ込みました。
そして、ついに「選挙運動員」デビューとなったのです。
木曜と日曜に、いくつもの駅前で道行く人達に、中西さんと一緒に何時間も声をかけながらビラやアジェンダを渡しました。こんな客引きみたいなことは、高校の文化祭以来だなあ・・・なんて考えながら、街の声を興味深く聞きました。
この街の人達は日本の現状をとても心配している。僕が感じている以上に強く、切実に。
かさむ国家の借金、不安な老後、子供達に押し付けることになるだろう負担。
沖縄の人達には申し訳ないのですが、僕が神奈川の駅前の人込みで受け取ったのは、この街の人たちは日米安保や米軍基地よりも、経済や社会保障の問題で頭が一杯という印象でした。
逆の意味で、沖縄の問題には大きな闇があります。その闇とは、小さな島の人々にとっては、本土からの絶望的な無関心と無責任の結晶であり、都会の人々にとっては、疲れきった甘っちょろい善意のなれのはてなのです。
経済なくしては、政治もへったくれもない。
僕が肌で感じた人々の本心はそれでした。お金がなければ、青臭い理想は成り立たないのです。社会保障にも原資が必要です。バブルという甘い蜜の味を知ってしまったからなのか、現実的な神奈川の県民性なのか、今の日本の総意なのかは日にちが少なすぎてわかりませんが、人々の瞳の奥は冷酷です。
熱に浮かされた時間の中で感じたもの、それは変革期の躍動感ではありませんでした。その戸惑いを自分の日々の仕事にどうフィードバックするか、また宿題が一つ増えたわけです。
僕は政治的にはだらしないノンポリです。まあ、自民党に投票したことはありませんでしたから、革新的と言えない事もなくはないんでしょうが、社民党や共産党は興味がない。
なんとなく大きな世の中の変化を期待していたのでしょう。守るべき物もない、そして既得権者に対する嫌悪感を抱いていた名もなき一人の若者。民主党政権を誕生させた力の中には、そうしたわずかに何かを期待した、小さな一票の積み重ねがあったのです。
政治家の皆さんには、そうした小さな怒りや小さな希望が、世の中を変える大きな力になり得る事を忘れないで頂きたい。
僕は耳鼻科のクリニックを開業しています。世間的には医師であるとともに個人事業主でもあります。勤務医時代にはあまり考えなかった「税金」。良くも悪くも(僕にとっては)高い税金を、毎月毎月払い続けています。そうした立場で、怪しげな税金の使われ方は、本当に納得いきません。天下りのための様な特殊法人に流れ込む、巨万の血税。
どうして日本はこういう国になってしまったんでしょう。
無駄遣いが大好きな特殊法人へ流れ込む血税を、うまく交通整理する知恵はないのでしょうか。世の中の特殊法人全体に対する税金投入の総枠を決めて、国民にとって必要なものから配分する、原則はとても単純です。それを誰かがずる賢く変えていく。
やはり政治力という怪物が登場するんでしょうね。力任せに私達のお金をむしりとっていく怪物が。科学の基礎研究にお金がいかなくなって、日本の将来に発展がなくなるのは困ります。ライフラインである、インフラに必要なお金もあるでしょう。
私達の大事な血税を、将来のための生き金にするにはどうすればいいのでしょうか。
僕は、今回の選挙で応援活動をしながら、色々なアイディアを思いつきました。世の中にある特殊法人の「理事長」なる人達の、年俸を上限500万円、退職金を上限1000万円にする法律はというのはどうでしょう。
そんなことを考えながら、夏の参院選を楽しんでみました。
結果、応援していた中西候補は、無事に中西議員となりました。いろいろ考える時間や問題を与えてくれた中西さんに感謝です。
やっぱりハッピーエンドは素敵です。汗だくで突っ走った僕らを約束の場所に連れていってくれた中西さん、本当にありがとうございました。
そして、心からおめでとうございました。
上手も下手も、サーフィンは楽しい
いきなり真夏の連休となりましたが、皆さんいかがお過ごしでしたか?
連休の中日、僕は久しぶりに海にいきました。行き先は鵠沼海岸。朝5時起きも、気分はウキウキ、心は青少年です。
久しぶりなので朝の準備に戸惑い、到着した6時15分に、サーフビレッジの駐車場はすでに満車でした。仕方ない、西部駐車場にゴールを変更し、臨戦態勢に入ります。
天気は最高、波もまずまずです。
一年ぶりのサーフィンでした。しかし・・・
運動不足とは恐ろしいものです。こりゃいけません。パドリングがキツくてなかなか立てません。次第に沖に出るのもしんどくて、まな板の上のゾウ亀の様な有様、息も絶え絶えです。
そんな時「うまくも下手もゴルフは楽しい」と、9代目林家正蔵師匠がこぶ平時代に胸を張っていた、昔の二木ゴルフのコマーシャルを思い出します。
天高く心は晴れやか、何しろ海に抱かれて波間に浮かぶ心はマット・ジョンソンです。ああ、恥ずかしい。
人間、都合良く出来ているものですね。
次回、今年の夏の大イベント・パート2についてお話します。
連休の中日、僕は久しぶりに海にいきました。行き先は鵠沼海岸。朝5時起きも、気分はウキウキ、心は青少年です。
久しぶりなので朝の準備に戸惑い、到着した6時15分に、サーフビレッジの駐車場はすでに満車でした。仕方ない、西部駐車場にゴールを変更し、臨戦態勢に入ります。
天気は最高、波もまずまずです。
一年ぶりのサーフィンでした。しかし・・・
運動不足とは恐ろしいものです。こりゃいけません。パドリングがキツくてなかなか立てません。次第に沖に出るのもしんどくて、まな板の上のゾウ亀の様な有様、息も絶え絶えです。
そんな時「うまくも下手もゴルフは楽しい」と、9代目林家正蔵師匠がこぶ平時代に胸を張っていた、昔の二木ゴルフのコマーシャルを思い出します。
天高く心は晴れやか、何しろ海に抱かれて波間に浮かぶ心はマット・ジョンソンです。ああ、恥ずかしい。
人間、都合良く出来ているものですね。
次回、今年の夏の大イベント・パート2についてお話します。
真夏の夜の夢・1
熱いひと月が終わり、祭りの後の虚脱感に包まれた日々を過ごしています。
熱い原因は2つありました。
熱い原因は2つありました。
最初は皆さんと同じ、サッカーワールドカップです。
6月11日の開幕に先立ち、なごや耳鼻科は6月7日から臨戦態勢になりました。院長以下すべてのスタッフは、代表ジャージかサムライブルーのTシャツで診療を行ったのです。
毎年のハロウィンやクリスマスで、ちょっとコスプレ気味ななごや耳鼻科です。私のJの魂が盛り上がらないわけがありません。ちなみに私は、Jリーグ発足当初からの(フリューゲルス経由の)横浜Fマリノスの由緒正しきサポーターで、日本代表といえば、ドーハの悲劇の時に一緒に観戦していた彼女と悲しみのあまりに分かれてしまった程の深いつながりがあります(なんのこっちゃ)。
さて、みんなが期待していなかった今回の大会、開幕の週の月曜日からとはいえ、日本の初戦の一週間前から診察スペースを青一色に染めたクリニックを訪れた患者さん達の目には、ちょっと怯えがありました。学生さんや若いお母さん達は「へえ、この先生そういう人なんだ」的な納得があったように(よく解釈すると)思いますが、分別のある大人の患者さんや、年配の患者さんには実際どう思われていたか少し怖いものがあります。
まあ、診療に対する自信があって、いまさら優等生の振る舞いは出来なくなってしまった自分がいて、こうしたスタイルのクリニックですがお願いしますね、と患者さんに納得していただくしかないと半分申しわけないながら思っています。
さて、患者さん達が少し乗ってきてくれたのは、あのデンマーク戦の前あたりからでしょうか。
カメルーン戦で大きな勝利をつかみ、オランダ戦で敗れはしたものの最小失点できりぬけ、代表チームが日本中の期待を背負い、そして大きな夢を私達に与えてくれました。
そして運命の6月24日。
日付が変わった午前3時からの至福の2時間。デンマークにかなりボールを回されましたが、なんと言っても前半をあの素晴らしいフリーキックの2点で圧倒的に安心して過ごせた喜び。終わってみれば3-1と、どこに出しても恥ずかしくない立派なスコア。本田、遠藤、松井、大久保、不動のツインタワー中澤と闘莉王、そして川島。他のメンバーも含め、僕らがどれほど彼らを誇りに思ったことでしょう。
25日の金曜日、患者さん達は皆笑顔で「先生、おめでとう」と言ってくれました。おこがましいのは承知で「ありがとうございます!」と笑顔でお返事です。ワールドカップはオリンピック以上に愛国心を育んでくれますね。オリンピックではスーパーアスリートには国籍関係なく応援しますが、ワールドカップでは代表チーム以上に感情移入出来るものはありませんからね。
そうそう、忘れてならないのが、ブラジルとマラドーナ・メッシのアルゼンチンでした。ジュビロの鬼軍曹だったドゥンガと、永遠のアイドル・マラドーナ。
国立横浜病院の耳鼻科医長時代、ワールドカップの時に外来の廊下に大きなブラジル国旗を張り続けた僕に、半分あきれながら皆さんは暖かく声をかけてくれました(あの頃からちょっと変な先生だったんですね)。
そして、世界で一番愛すべき50歳は、間違いなくマラドーナでしょう。
いよいよ決勝トーナメント4日目、6月29日。
試合の結果はご承知のとおりです。120分を戦い抜いた日本代表を待っていた、残酷な結果。
たらればの話はジャーナリズムに任せて、僕の涙が止まらなかったのは、駒野の肩を抱いて無言で泣き続けた松井の姿でした。
男の友情、完全燃焼、世界の舞台での希望と挫折。いろいろな言葉があるでしょう。
40代も半ばになると素直に感動することが難しくなりますが、スポーツには魂を揺さぶる魔術があります。
夢中で夢を追いかけることが出来る人は幸せな人でしょう。僕にも、皆さんにもそんな時代があった。100点満点ではないけれど、納得して夢をかなえてきた人生。そしてその時に苦しみも喜びも共にした友達。
苦しんだ友達の肩を抱いて無言で泣き続けたこと、あっただろうか。これからあるのだろうか。
夢を追いかける幸せと、友達とただ泣ける幸せ。
いろいろ考えさせられますね。
僕の場合これから出来るのは、嫁を追いかける幸せくらいかな。
試合後のキャプテン長谷川のコメントも素晴らしかった。彼は世界に誇れる日本人ですね。
大会中のオシムのコメントも味わい深かった。やはり一流の人の話は面白い。
さて、暑い夏となったもうひとつの大イベントは、次回お伝えします。
恐怖の日曜日
買っちゃいました。
IPad、すごいですねえ。なんだか、ちょっと未来気分。
IPhonを持っている友人が増えてきました。
その中で、僕は相変わらず、docomoくんです。
医者になったころ、時代はバブルの名残にしがみついていました。
高校の同級生達は立派な社会人で、ダブルのスーツなんかを着てキラキラしていました。
学生時代、ホンマもんのバブルおやじ達がいかついショルダーフォンをかついで同い年の女子大生をむしゃむしゃ食べているのを横目で見ながら、何か違和感を感じていた僕はついに1年間日本を飛び出し、今で言う自分探しの旅に出ました。
帰国した僕を待っていたのは、何も変わらない世の中だったのですが、何か自分がひとかどの人間なっているような気がして、世間を斜に眺めていました。自分を新しい世界人のように感じていました。
「なんちゃあ成し遂げていない」ことに、気がついていなかったんですね。
大学に戻り、それまでの自分がうそのように勉学に励みました。(同級生から、うそつき!と言われるかな)
医者になり、修行時代は半年に20回しか家に帰らずに病院に住み込んで仕事に熱中していた頃もありました。仕事ばかりしている自分の姿に酔っていたのかもしれません。普通に考えると、いつも汗臭い下っ端の医者って、ちょっとキモイですよね。
そんな頃、やはり自分へのご褒美が欲しくて、まだ回りの若手の医者がポケベルだった中で手にしたのがドコモの携帯電話でした。
電話機自体が10万円以上したでしょうか。サイズも、今では考えられないずんぐりしたボリューム。
新人類ぶっていても、バブルおやじ達のおもちゃに憧れていたのですから笑えますね。
そんな幼稚な宝物も、やはり生活の必需品になり、何回も新しい機種に乗り換えた後も、愛着があってなんとなくドコモから離れずにいます。
IPhonが出た後、どうしようか踏ん切りがつかないまま日々を過ごしている中で、うすうす気がついていました。
すごいスピードで進化していく世の中で、新しいものをちょっと疎ましく思っている自分に。
これは、漠然とした恐怖でもあります。
僕は今、TVの録画の予約ができるんだろうか。
ブルーレイ対応のHDレコーダーデッキは持っています。
この2年はHDハンディカムカメラで子供の運動会のシーンを撮り、ブルーレイに落とせるスペックのパソコンも持っています。
しかし、時間がないという言い訳を隠れ蓑に、やっちゃいないんですよね。
まずいまずいと思いながら、夏休みの宿題が手付かずで、来週から2学期だよ状態です。
そんな中、IPadです。
これをきっかけに、時代の最先端、とんがり人間になるぞ!と勇み立ちました。
ところが・・・ いろいろセッティングするのに、日曜日丸一日かかりました。
メールの準備、パソコンや携帯電話との連携を整えるのに、ソフトバンクやドコモに電話しながら汗だくです。
日曜日の長い散歩を約束している飼い犬のウィリーに謝りながら、まあ、何とか出来上がって、やっとビールです。
途中はいい。黙ってりゃあ、僕も最先端のデジタル人間の仲間入りです。
しかし、なんの説明も聞かず、楽々とIPadを使いこなす息子の姿を見ると、ぼんやりした恐怖は続きます。
IPad、すごいですねえ。なんだか、ちょっと未来気分。
IPhonを持っている友人が増えてきました。
その中で、僕は相変わらず、docomoくんです。
医者になったころ、時代はバブルの名残にしがみついていました。
高校の同級生達は立派な社会人で、ダブルのスーツなんかを着てキラキラしていました。
学生時代、ホンマもんのバブルおやじ達がいかついショルダーフォンをかついで同い年の女子大生をむしゃむしゃ食べているのを横目で見ながら、何か違和感を感じていた僕はついに1年間日本を飛び出し、今で言う自分探しの旅に出ました。
帰国した僕を待っていたのは、何も変わらない世の中だったのですが、何か自分がひとかどの人間なっているような気がして、世間を斜に眺めていました。自分を新しい世界人のように感じていました。
「なんちゃあ成し遂げていない」ことに、気がついていなかったんですね。
大学に戻り、それまでの自分がうそのように勉学に励みました。(同級生から、うそつき!と言われるかな)
医者になり、修行時代は半年に20回しか家に帰らずに病院に住み込んで仕事に熱中していた頃もありました。仕事ばかりしている自分の姿に酔っていたのかもしれません。普通に考えると、いつも汗臭い下っ端の医者って、ちょっとキモイですよね。
そんな頃、やはり自分へのご褒美が欲しくて、まだ回りの若手の医者がポケベルだった中で手にしたのがドコモの携帯電話でした。
電話機自体が10万円以上したでしょうか。サイズも、今では考えられないずんぐりしたボリューム。
新人類ぶっていても、バブルおやじ達のおもちゃに憧れていたのですから笑えますね。
そんな幼稚な宝物も、やはり生活の必需品になり、何回も新しい機種に乗り換えた後も、愛着があってなんとなくドコモから離れずにいます。
IPhonが出た後、どうしようか踏ん切りがつかないまま日々を過ごしている中で、うすうす気がついていました。
すごいスピードで進化していく世の中で、新しいものをちょっと疎ましく思っている自分に。
これは、漠然とした恐怖でもあります。
僕は今、TVの録画の予約ができるんだろうか。
ブルーレイ対応のHDレコーダーデッキは持っています。
この2年はHDハンディカムカメラで子供の運動会のシーンを撮り、ブルーレイに落とせるスペックのパソコンも持っています。
しかし、時間がないという言い訳を隠れ蓑に、やっちゃいないんですよね。
まずいまずいと思いながら、夏休みの宿題が手付かずで、来週から2学期だよ状態です。
そんな中、IPadです。
これをきっかけに、時代の最先端、とんがり人間になるぞ!と勇み立ちました。
ところが・・・ いろいろセッティングするのに、日曜日丸一日かかりました。
メールの準備、パソコンや携帯電話との連携を整えるのに、ソフトバンクやドコモに電話しながら汗だくです。
日曜日の長い散歩を約束している飼い犬のウィリーに謝りながら、まあ、何とか出来上がって、やっとビールです。
途中はいい。黙ってりゃあ、僕も最先端のデジタル人間の仲間入りです。
しかし、なんの説明も聞かず、楽々とIPadを使いこなす息子の姿を見ると、ぼんやりした恐怖は続きます。
しまなみ海道自転車一人旅
快晴のゴールデンウィークが過ぎました。



