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能登地震JMAT派遣出動①

2024/02/21

2月10日から13日まで能登地震被災地へ、神奈川JMATとして派遣出動で医療支援にうかがいました。
東北大震災以来の本格出動です。
善人ぶっているのは承知で、結構アドレナリンを出して粛々と活動してきました。

3.11からはや13年。月日は光速で巡ります。
無我夢中で行動した東北大震災支援の宮城県の日々。あの時は若さ、世の熱、働ける喜び、大切な絆、多くのものに背中を押してもらって復興をお手伝いしました。
当時は全く独立民間部隊として、幼馴染みで東北大出身の政治学者、そして当時仙台の私塾を運営していた友と共に、地域復興支援・教育支援を行いました。4年間続けた中学生のサマーキャンプの顛末は、2021年6月のブログにまとめています。
東北復興支援の実績を買っていただいてか、その後横浜市医師会災害対策委員、緑区医師会副会長を仰せつかり災害医療に向き合ってきました。
今回は公的組織の一員として、神奈川JMATでのご指名を受けて医療支援派遣となりました。
正直、公的派遣での支援は初めての事づくしでした。
何より、計画立案、連絡調整、事務手配、人員手配、資金調達、現場の支払い、しなくていい。
これは驚愕的楽ちんでした。本業である医療に注力集中できる。助かりました。

2月10日、1日目。通常診療の翌朝、集合場所で新メンバーとご挨拶。
神奈川JMAT第5隊、精鋭5名です。
豪華で楽しいメンバーはというと、まず僭越ながら最年長笑で医師の私、そして明るく頼れるベテランの女性看護師Tさん、明晰で正義感の強い女性薬剤師のWさん、医師会からは20代コミュ能力高過ぎ事務のT君、最後に寡黙で頼れる横浜市職消防士で凄腕ドライバーのKさん。
まるでアクション映画のようです笑。そして私以外は誰もが主役が張れる。きっと世界も救えるぞ。

そしてミッション開始! 予約済み新幹線で現地に向かい、機材充満の手配済みレンタカーに乗り込み、県庁の会議室に直行。ブリーフィングを受け、指定された場所で診療。案内された食事、予約済みのホテル(支払い済み!)で宿泊。おお、映画のようだ笑。
ありがたくて涙が出ます。冗談ではなく、本業以外のイベントやボランティア活動を行なった方にはお分かり頂けるはずです、事務段取りがどんなに大変かを。
それを孤軍奮闘した10年前の膨大な努力に震えますが、全く事務の方々への感謝は尽きません。
民間・個人が大きな公的組織の活動にかなうはずありませんが、それは住み分けです。
求めるゴールが同じでも、手段が違う、活動のフィールドが違うと実感しました。

さて、災害医療を少し語ります。
大災害の後、医療チームの派遣が始まります。
日本の災害といえばまず地震です。
発災直後からの主役は、急性期治療です。救命救急・災害現場での瓦礫の下の医療。
災害現場での臨機応変な対応での命に関わる三次救急。専門知識と時間との戦い。72時間の壁。
そこでの主役がDMATです。災害対策基本法に基づいて編成・出動要請が行われる公的医療チーム。
皆さんのイメージ通りの本物の災害医療のプロ中のプロ。ドラマの世界です。
急性期に活躍し、災害が落ち着いてきたら撤収。海外へも派遣があります。一般的に出動期間は10日程だそうです。

交代で出動するのがJMATです。災害自体が落ち着いて被災者さん達の避難生活が安定して、地元の医療機関が回復してきた時期から、被災者さん達が地元や避難先の医療圏にもどるのをお手伝いします。医療機関も被災しているわけですから医療機関の補助や、避難所の被災者さんへの健康観察、健康指導が仕事になります。
日常診療の往診などのイメージと少し違います。本格診療の主役はあくまで地域の医療機関なのです。
もちろん、必要があれば診察・投薬も行います。都会での休日診療所の診療イメージでしょうか。
JMAT出動の基本は自己完結。全ての診療機材、検査キット、最低限の処方薬剤を僕らは神奈川から持ち込み、ゴミも持ち帰りが前提です。

午前10時に金沢市の石川県庁舎11階のJMAT本部を訪問、私たちの活動は始まりました。
登庁した石川県庁の立派な庁舎の11階は、すべて災害医療関係の執務室になっています。

昼の参加時ブリーフィングで前任チームとご挨拶しました。前任は川崎市医師会副会長原田先生チームで、金沢以南の2次避難所の医療需要は少なくなってきているとのお話もありました。

次回へ続く