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横浜キッド

2022/01/31

今年のFMサルースの映画解説の初回は、Netflixの映画の「浅草キッド」をお話ししました。
原作・北野武、監督脚本・劇団ひとり、柳楽優弥、大泉洋、鈴木保奈美、ナイツ土屋、門脇麦。話題の作品です。
Netflix サブスクリプションの動画配信の映画なのでNetflixの契約が必要ですが、コロナ時代のライフスタイルとしてかなりの方が観られる環境だと伺っています。
ビートたけし、深見千三郎、井上雅義。1972年(昭和47年)からの浅草フランス座の物語。
浅草72年たけし25歳、漫才ブーム80年たけし33歳、出版88年たけし41歳、時代を感じますね。

評価は、今時の言葉で言うと“めちゃエモい”作品です。エモい=エモーショナルな=情緒たっぷりな、という意味で、少なくみても素晴らしい!
脚本監督・劇団ひとりの才能でしょうか、話回しがとても上手。そして芸人として、たけしへの憧れと神格化が伝わります。いい意味で愛に溢れている。

作品の中では、たけしの師匠・深見千三郎役の大泉洋がただ事ではない。
芸人魂をまな弟子たけしに注ぐ姿。鈴木保奈美(彼女がまたむちゃくちゃいい)演じる奥さんとの場面での、昭和のいなせな男。ブレイクして師匠を乗り越えていったたけしが浅草に訪れた場面で、寂しくも嬉しい師匠冥利の演技。
鬼気迫る演技で、大人気の大泉さんの面目躍如です。

しかし、私がお伝えしたいのは主演・柳楽優弥の演技の素晴らしさです。
東京芸人にとってのカリスマ・ビートたけしは、モノマネの基本として芸人から中学生まで大勢に真似されてきました。そんなのニセたけしの達人たちと比べ柳楽があまり似ていないところがいい。たけしのモノマネなら松村邦洋の方が全然上だし、たけし愛も強い。
しかし柳楽には役者としての覚悟が見えます。オープニングのドサ回り、タップダンス、TV初出演のシーン。たけしモノマネ日本一を目指さずに、役柄としてのビートたけしを静かにしてすごい熱量で演じています。
そこに見えるのはたけしのモノマネではなくて、演技者として作り上げた「何者でもなかった」若き日のビートたけし。
ラストのフランス座のシーンは「バードマン」(14年アカデミー作品賞イニャリトゥ監督)へのオマージュで、監督のセンスが光ります。

「3丁目の夕焼けから15年後」の昭和ノスタルジーと、絶望と希望の境目を歩く青春を、エモく描いた映画。
みんなが貧しく、呑気に明るかった。暗い奴もいたが、絶望はなかった。
あれから40年、日本は便利になったが、私たちは本当に豊かになったのか。自分に問いかけたくなる作品です。是非ご覧ください。

少しだけ昔話。
「横浜キッド」。昭和の終わりころ、中華街や元町、伊勢佐木町。
主人公のたかおは、都内の進学校の落ちこぼれで浪人の末横浜の大学生となり、自分の居場所を探していました。
バブルからオウムへの時代。横浜博覧会の前後で、少し前までみなとみらいはただの荒野でした。
白いメリーさんを横浜港郵便局で見かけたり、米軍基地が移転したあとの本牧にはアメリカの香りが残っていました。
たかおがたどり着いたのは中華街の外れにある外人船員相手のバー。中華街には元気な外人バーが4軒ありました。

ママは神戸から来た極道の妻で、いつも笑顔の華やかな人。
エースバーテンダーは長身ノルウェー人の元船乗り・カーロ。大洋ホェールズファンで外野席応援団の有名人。
ママの旧友で「元・神戸のバルドー」ことキッチンのキミさん、若き暴れん坊バーテン・ユーイチ、東京理科大院生で兄貴分のDayちゃん、横浜国大生でアートかぶれのTaishow。
いつも笑いの絶えない店でした。

山手のレストランの美人娘。生意気なアメリカンスクールの卒業生達。バイトの僕を訪ねてくれる大学の同級生や後輩達。石原慎太郎も利用した本牧の造船所の姉妹。乱暴な船乗りと寡黙な謎の日本人傭兵。夜の蝶々たち。中華街の人々。景気の良いバブル紳士と着飾った女性達。
24時までのバイト時間では終わらない(店は朝5時まで営業)、若者たちの中を流れる輝きと不安のコントラスト。
昭和の終わりの頃の横浜には、東京と違う特別な時間が流れていました。

長いカウンターの真ん中に船のスロットルレバーがあり、ガシャンと鳴らすと店の客と店員の全員に1杯ずつ奢るルール。普通に一晩で何回か鐘は鳴りました。
僕はといえば、夏や春の大学の長い休みと時には1年近くバイトを休み、バックパックを担いで海外へと出かけていました。
そんなちょっと変わったバイトの医大生を、ママを含めスタッフや常連さんはかわいがってくれました。普段なにかと声をかけていただいたり、ご馳走していただいたり、出発の時には選別までいただきました。バブルも背景でしょうが、そんな優しいお節介な義理人情もありました。
お金がなくても心配しない(植木等か!なんて言っても若い人には通じないねw)。胡散臭い奴も多かったけど、元気が良かった。ハッタリの夢を語り、がむしゃらに働いて、真面目に勉強もしていたww、明るく貧しい若者達。

誰もが何者でもなく、少しダメな若者だった。要領と根性がない奴が消え去り、夢は努力と運で掴む、なんて思っていた頃。
自分の原点はどこか。自分が何者か思い出させてくれる場所。それが中華街、元町。
いつか「あの時の横浜」を小説に書きたいと思っています。